高齢者問題に対する熱い思い

高齢者問題に対する熱い思い

 トータリティー法律事務所においては、高齢者問題に幅広く力を入れています。

 団塊の世代が一挙にリタイアする年代となり、至るところで人手不足が叫ばれています。

 他方で我々団塊ジュニアの世代は、日常生活に追われ、団塊の世代よりも経済的に豊かであるとは言い難い状況の中、いろんな意味で親世代を支えるのがしんどくなってきています。

 また、独居生活を送る方も増え、遠方で1人暮らしている高齢の親族はいるものの、親等であればともかく、親よりも遠い関係にある親戚のことまで手が回らない方も増えてきているように見受けられます。

 当事務所は、そのような状況下にある高齢者について、ご本人やお身内の方からの相談に積極的に応じ、少しでも助力できればと考えています。

 以下、このような考えに至った私の経験談をお話しし、その後、私の実務上、事件処理上の経験をお話しします。

1.私自身の経験・その1~父と祖母の介護記

父の衰え

 私の父は幼少期のポリオが原因で、右足が不自由になり、終身松葉杖をついて歩行していました。しかし、父が60歳を過ぎた頃に、手と肩が衰え、外出時に転倒するようになりました。

私が大阪市内にあった父の司法書士事務所の閉鎖を勧め、父が自宅にこもって生活するようになってからは、ガタッと体力が落ち、自分で体勢を変えることが困難になりました。

ここから、80代の祖母が60代の父の介護をするという、老老介護が始まりました(母は、私が大学1年生の頃に逝去。)。

父と祖母の実家での老老介護、父の施設入所に至るまで

 父は祖母がいるから自宅は離れられない、祖母は父がいるから自宅で面倒を見続けないといけない、と両すくみのような状態で、家事をやり尽くそうとする祖母のイライラと、それに応戦する父との間の殺伐とした空気に、私や弟、妹は、実家に立ち寄ることがおっくうになっていきました。

 父はやがて、私たちの勧めもあり、福祉サービスの利用を検討、地域包括支援センターも交え、介護サービスの利用を開始しました。父の場合は、介護保険に加え、障害者福祉のサービスも利用でき、それまで自宅にこもりきりだった父が、積極的に外出するようになりました。

 とはいえ、祖母、父とも、互いに相手がいるからとして、施設入所を頑なに拒否していました。

 ところがその後、父が内臓の不具合で入院したことをきっかけに、祖母は実家で一人暮らしの状態になりました。私は父から施設入所やむなしとの言質を取り、チャンスは今しかないと考え、祖母を実家から連れ出しました。

途中異変に気づいた祖母は、「実家に帰る!」と言いましたが、有無を言わさず私の自宅に連れてきました。

 こうして父には一般有料老人ホームに入所してもらい、祖母は私の自宅での在宅介護が始まりました。

祖母の在宅介護から、施設入所に至るまで

祖母の在宅介護については、良いケアマネとの出会い、妻の尽力もあり、祖母の好みそうなイベントのあるデイサービス等も利用、祖母もデイサービス等には喜んで参加してくれていました。しかし、100歳目前の高齢者が自宅で自分の身の回りのことをするには限界があります。祖母は自宅の部屋の中での大便失禁もありましたが、祖母自身のプライドもあり自身の粗相を否認、妻や娘の精神状態も限界に近づきました。

私は妻とも話し合い、祖母や私の家族のクオリティオブライフ、互いのよりよい人間関係の維持を考え、祖母も施設に入所してもらうべきとの判断になりました。

 昔から、家にいることが好きな祖母だったので、数日外出する体でショートステイを挟み、そのまま父と同じ一般有料老人ホームに入所してもらいました。

 祖母は、もったいないので施設に入らなくていい、とのことでしたが、強くは抵抗しませんでした。

父と祖母の一般有料老人ホームでの生活

父は私に、要介護の状態になってから好きになったチョコレートやクラッシュゼリー、酒の差し入れをしばしば要望するようになりました。お酒は昔から好きなので、私から施設に相談し、施設長の了解を得て、夕食時には私が差し入れた日本酒を出してもらうようにしました。

 それと、父は麻雀が好きで、若い頃は、我々子供達を交えて家族麻雀をしていたので、施設内で麻雀大会をしてもらいました。この時父は、要介護5でしたが、施設長や担当者がすごく理解があり、施設長、担当者、私も参加しての麻雀大会となりました。

 他方で祖母は、戦時中を生き抜いてきたこともあり、とにかく「もったいない」精神の人で、要望は少ない人でしたが、文字を読むのが好きなので、私が本や雑誌を差し入れていました。

 父と祖母は、フロアは違えど同じ施設内にいたので、私が要介護度の低い祖母を連れて、父の部屋に見舞いにいくこともしばしばでした。

父と祖母の逝去

 父は、体調の余り優れない中、大学の同窓会に行きたいとして、旅行に同行してもらえるヘルパー等を手配して2泊3日で旅行に出かけましたが、帰阪後体調が悪化し、逝去しました。父は、人生で一番よい時代を過ごした大学時代の友人達に、結果的に最後の挨拶をして旅立ちました(享年75歳)。

 祖母は父の逝去から約2年半後、101歳で大往生しました。障害者の息子(長男で一人っ子。夫である私の祖父(長男)は、招集後戦地に赴き、一度も故郷に戻ることなく、約4年後に南方で戦死。)を抱え、農家の長男の嫁として、厳しい立場に立たされながらも息子である父を守って生き抜きました。人生の最後は、桜の花が咲き、少しばかりの花見もして、静かに旅立ちました。

2.私自身の経験・その2~介護事務、葬儀にあたっての心情、相続税の納税等

介護事務~とにかく書類書きが多い

 父と祖母がほぼ同時期に介護事業者に世話になり、2人分の介護事務を行ってきました。

 お世話になった事業者さんは、みんなよい事業者さんで、沢山の書類の送付があり、きっちりとやってくれていることがよくわかりました。

 他方で、2人分の書類があって、同じ施設とはいえ、面会にも赴き、父の差し入れの要望にも応じていろんな買い物等をしていると、施設等が送ってくれる書類になかなかきちんと目を通すことができなかった状態でした。署名捺印が必要な書類は相当数に及びました。

 差し入れのものも、最初は父と祖母の預貯金等から精算してもらっていましたが、後々は、私の立て替え分の精算も、なかなか手が回らない状態だったように思います。

葬儀にあたっての心情について(母の葬儀も含む)

・母が逝去したのが、私が大学1年生の頃で、家族の中で太陽のような存在だった母の逝去は、夫であった父や、母の命が長くないことを知らされていなかった弟や妹に大きなショックを与え、葬儀は家族みんながただただ悲嘆に暮れていた状態でした。

 そんな様子を見ていた私は、自分は冷静でいなければいけない、と思い、参列者の前では涙を見せずに頑張っていましたが、友人の母が私のために泣いてくれたことで、始めてみんなの前で涙を流した記憶です。

・父は生前、仲のよかった人達とお酒を飲むのが好きで、親戚の法事にもよく参加していました。

 このことを踏まえ、父の葬儀には、いとこを含んだ親戚にも声をかけ、参列してもらいました。父は一人っ子でしたがいとこが多く、父の遺志を考えると、自分のために集まって欲しいと言うだろうな、と思い、三回忌にも父のいとこ等に声をかけ、宴席にも出てもらいました。

・私の尊属として、祖母が最後の葬儀となりましたが、両親の葬儀で2度の経験があることから、よりよい葬儀の持ち方を考えることができるようになりました。

祖母は逝去直前にキリスト教の洗礼を受けたものの、もともと真言宗で生前戒名をもらっていたこともあり、どのような宗派で葬儀を行うか、身内で話し合いをし、祖母の逝去前に解決し、そこで決まった形で葬儀を持つことができました。

また、葬儀会場でどのような曲を流して祖母を見送るか、弟や妹とも話してそれぞれの曲を持ち寄りました。祖母が大往生したこともあって、これまでで一番よい葬儀を持つことができたと思っています。

 相続税の相続税の申告・納税について(名義預金の取り扱い)

 父は平成26年、祖母は平成29年にそれぞれ逝去しましたが、長男である私が中心となって、それぞれ相続税の申告、納税を行いました。

 高度経済成長の時代、様々なルールが今よりも相当緩かった時代、架空名義で預貯金口座を作れたり、容易に子や孫名義での預貯金口座を作ることができました。

 父や祖母も、我々子や孫に知らせることなく、我々名義で預金口座を作ってくれていて、そこに相当額の財産を残してくれていました(このような預金口座を、名義預金といいます。)。

 平成26年の父の逝去時の相続税の納税の際には、国税当局は名義預金のことをうるさく言わなかったのですが、平成29年の祖母の逝去時までに、国税当局は名義預金の取り扱いを変え、課税強化の方針を打ち出しました。

 父も祖母も、同じ税理士先生に関与してもらいましたが、国税当局の取り扱いが変わった以上、いかんともし難いのだ、ということを痛切に感じました。

3.私の実務上、事件処理上の経験

遺産分割協議・遺産分割調停における留意事項~可能であれば税務上の配慮も

 遺産相続に際しては、それまで仲が良かった親や兄弟姉妹等でも波風が立ったりします。

 遺産分けについては、親族会議等で解決がつけばよいのですがが、裁判所というテーブルを使うということになれば、やむを得ないこととはいえ、今後の親戚付き合いに大きな影響を及ぼすことになります。親子関係や兄弟姉妹関係が断絶することもしばしばあります。

 また、相続人である親や叔父叔母がそれぞれ亡くなり、いとこ同士での争いになると、それぞれ親の敵を取る、という形になることが多く、解決が難しくなる傾向もあります。

 親族、親戚関係は、人として生まれてきた以上避けられないもので、長年にわたって積もり積もったものがある場合もありますし、そのようなケースだと、49日が済む前に、遺産分けの話をしようとしたりして、他の親族を激怒させることもあります(遺産分けの話は、せめて49日が済んでから、というのが、社会一般の認識であるように思います。)。

 舞台が裁判所に移ると、それぞれの感情の対立が激しく、税務面での配慮も難しくなる傾向にはありますが、亡くなった方がそれなりの資産を残されていて、相続税の納税が必要、という問題が生じた場合は、争いがある相続人同士とはいえ、利害が一致する面があります。

 私はこのような場合、遺産分割協議や遺産分割調停の場に、税務面での配慮を求めるようにしてきました。正直、相手方の代理人弁護士や調停委員は、税務面についての問題意識が低いことがままあり、きょとんとした表情を浮かべられる場合があります。また、相手方の代理人弁護士において、こちらが問題提起した税務上の問題について、軽く見ている節があったりします。

 私は、遺産分割協議、遺産分割調停に臨むにあたっては、税理士とも連携を取り、マメにやりとりするようにしています。

 弁護士からみて、税務上のよく問題となるのが、小規模宅地の相続税評価と、共有関係の整理です。いずれも申告業務に携わる税理士先生の作業にかかる面が多いですが、共有関係の整理などは、要件等を厳密に詰めておかないと、所得税も含め大きな税金がかかってくる可能性がありますので、慎重な検討が必要です。

 親族会議の中での遺産分割協議についても、税務上の問題をはらむ場合は、弁護士のみならず、税理士先生も同行の上、話し合いの席で意見を述べてもらい、協議をまとめるよう試みることもあります。

遺産整理案件の増加~一人暮らしの高齢者の増加

 一人暮らしの高齢者が増え、孤独死問題も増えてきている状況下、遠方で一人暮らしをしている親族等が逝去した際のご相談も増えてきています。

 相続人が1人であったり、相続人間で紛争性がなかったりするケースであっても、遠方の親族の財産状況がわからず、その調査も含め、遺産相続の処理に携わることも増えてきました。

 財産の調査は、まずは居宅内にある通帳や郵便物を探すことから始めますが、遺品整理業者等を依頼して、これらのものを見つけた場合は取っておいてもらうようお願いしたりすることもあります。孤独死の場合は、業者による特殊清掃が必要な場合もあります。

 財産の調査を一通り終えれば、預貯金等の資産から負債の返済を行い、残った財産について、相続人に引き継ぎます。不動産がある場合は、相続登記は司法書士に依頼します。

成年後見人選任について

 人が高齢化していくと、避けることができないのが認知症等の問題です。判断能力が衰えてくれば、自身の財産管理もおぼつかなくなり、どうしても第三者の関与が必要となります。

 私はこれまで、複数件の成年後見事務を行ってきており、中には成年後見人選任から10年以上になる案件もあります。私が成年後見人に選任されたケースとしては、弁護士会での推薦名簿登載を経て、裁判所から選任されたケースもありますし、依頼者の希望を踏まえ、裁判所に私を成年後見人に選任するよう求め(自薦)、これに応じて成年後見人に選任されたケースもあります。これ以外に、依頼者において、自身を成年後見人に選任するよう裁判所に求めたり、裁判所に適当な方の選任を任せることも可能です。

 成年後見人の事務としては、基本的にはご本人の財産管理と、身上監護についての事務(主に、施設入所や介護サービスの利用等の契約書類への署名捺印)となります。具体的な介護そのものについては、ケアマネージャーやヘルパー等が行うことになります。

 成年後見人選任の相談も増えてきており、今後も高い水準で推移すると見込まれます。